研究授業
昨日は配属先の学校で研究授業を行いました。
近くに住んでいる小学校協力隊員の方と作った学習者中心型授業!
現地の先生に、ここマラウイで有効だと私達が考えた学習者中心型の授業を紹介することを目的としてやってみました。
個人で考える時間が全くない、とりあえず問を投げかけてすぐに10人くらいでグループワーク(人数多すぎる)をやらせてみる、むしろ解き方を先生がすぐに教えて、その後練習問題数問与えて終わり…
などが一般的なマラウイの授業。
昨日は個人で考える時間をしっかり作ること、その上で3人のグループワーク、6人のグループワーク、と少人数の中で、全員が自分の意見を人に伝える授業を目指して作成しました。
先生も結構見に来てくれた!
ところで面積の複合図形の授業をやってみたのだけど、やってみた結果、子どもたちは「そもそも面積って何?」ってところがわかってないのでは…という悲しい事実が浮き彫りに…
「なんかエリアというものを求めるには、よくわかんないけど掛け算使えば答えに辿り着くらしい」というくらいの認識。4年生から一応、段階的に習ってるはずなんだけど…!
↑とある班の昨日の解答
そもそも概念の獲得ができていなくて、けれど問題の解き方だけわかっていて、、、ということなんだろうね、というのが一緒に授業を作った方達と話し合いの中で出た結論。
概念の獲得ができてないと、習った解き方でしか答えを導き出せない。応用問題が解けない。
目的はここだから、手段はこうしよう!これもできる!これはどうだ!など自分で考え出すことができない。
現職の小学校教員である一人の隊員さん曰く、日本では概念の獲得を、具象物を用いて、丁寧に丁寧にやっていくとのこと。
そうした丁寧な積み重ねをすっ飛ばして、いや、すっ飛ばされてしまった彼らが、今から概念の獲得をするにはどうすればいいんだろう?
そして、授業の中でそういう訓練を充分にしていない彼らは、人生で問題に直面したとき、自分で考えて、解決策を導き出すことができるんだろうか…?どうなんだろう?
その答えは、今の援助漬けのマラウイの状態に表れているのか?
まあ、それでもいいのか?
でも、自分の人生を他の誰でもない、自分で切り開いていく、自分が選んでいく、そういう、「自分は自由だ!」っていう感覚って、考える力があってこそより多く得られるもので、それって人の幸福に直結してるんじゃないかなあと思ったり…
などなど、こちらも色々考えさせられる研究授業でした。